ごくごく個人的な「思い出の野菜」

子供のときに「福神漬け」を食べる機会があったのは多くはカレーライスのときだった。そのときに気になるというか、変質的とも言える興味を持って長い間、ジッーとそのカタチを眺めていた野菜があります。それが運悪く、最初に自分に盛った中に含まれていなかった時のガッカリ感。それを得るために福神漬けの入ったビニール袋や瓶の中を箸で引っ掻き回し探して怒られたこともありました。随分経って、その野菜の名前が判明しました。ナタ豆というのでした。しかしこの形態で生育する豆、と言うのが今イチ想像できませんでした。それが「ジャックと豆の木」の天まで届いた豆は、このナタ豆がモデルだという話を何かのときに聞きました。そうすると増々わからなくなりました。福神漬けの中に入っているものは薄くスライスされているというのはわかりましたが豆全体のカタチが想像できませんでした。なんだかチベット仏教の曼荼羅模様を思い起こさせ、あるいはスカーフの模様によくあるペイズリー模様(勾玉模様)そしてなぜか中近東の匂いを感じたのです。少なくとも甘がらく煮詰められたいろいろな野菜に混じって赤茶色にはなっているが、あのカタチは他の野菜とは違う香りを秘めて直ぐに違和感を感じさせました。あのスライスされた一片を見つけると箸で持ち上げて電灯の光にかざして、ためつすがめつ眺め、なかなか食べられなかった野菜。とうとう食べてみると弾力のあるゴム系の感触、味は無味に近くどうでもいい味。何でこんなものを入れなきゃならないんだろう?とは言え、探さずにはいられなくなる野菜。それが一瞬でわかる、”豆らしい豆”という形状ではないのを不思議に思ってはいたのですが、誰に聞くようなものでもないと長い間忘れていました。最近になってインターネットの発達でなんでも調べられる環境になって、ナタ豆という画像を探してみました。それとナタ豆と呼ばれる理由も。まず画像をと、見てみたらなんのことはない、両方の謎がいっぺんに解けました!それは成熟した豆はこん棒のように大きく固そうで鉈(ナタ)のよう。そしてそれがなぜあんなに縮んで華奢な模様となって福神漬けの中にひっそりと隠れているのかもわかりました。あれは断面スライスしてあるのでした。つまり金太郎飴のように、でも薄く薄くスライスしてあるのでした。成熟した豆は固いし毒性をもつので、そのままでは食べられないということらしいので恐らくなんらかの加工処理がなされているのでしょう。結構手間ひまがかけられていることもこれでわかりました。面白くなって調べていくとクイズ番組で「福神漬け」の値段を決める決定的な要素は?という問題が出て、答えが「ナタ豆の量」とされたということです。ふ〜む、やはりそうだったのか!他の野菜に紛れてひっそりと入っていたナタ豆。こいつがクセものだったんだっ!見た目、福神漬そっくりで味もまったく同じ漬け物でもナタ豆が入っていないと「福神漬け」の呼称は使えないようだというのもわかったし、中に入っているボリュームたるや微々たるものなのに何たる影響力!これは、、、、、なにかがあるぞ、、、

そ〜か、、、、、わかった!、、、、「ダ・ ヴィンチ・ コード」ではないけれど ”世界陰謀論”の謎解きの鍵が、、、、、題して「ナタ豆コード」とでも名づけよ〜か。

あのカタチをもう一度じっくりと見てみよう、、、、、どこかで見たような、、、、何に似ているのだろう、、、、、、、そうだっ、わかったぞっ!あれはヤ、、、ヤギの眼だ!と言うか、ヤギの眼のなかにあのナタ豆が入り込んでいる。

う〜む、、、「福神漬け」という縁起の良い名前の漬け物の中に、とんでもないものが入っていた。西洋の悪魔(ディアボロス)が潜んでいたのだッ。どおりで人を惹きつけるワケだ、、、、、、、なにがなんだか分けがわからなくなって来たぞ。

ということは、、、、ワタシはどうなるのだ? それを知らずにこの眼に惹き付けられて育ったワタシは、、、あの悪魔メフィストに魅入られたファウストか?

あぁ、、、誰かもっと他の人達も「福神漬けの陰謀」に気づいてくれないのか?

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文: フクダ

ヤギはキリスト教において、しばしば悪魔の具象化したもののように使われたが、これは先行宗教や原始シャーマン宗教によくヤギが象徴としてでてきたり生け贄としても扱われるがゆえにということらしいが、本当はそれよりもヤギの目を一度でも見れば即座にうなずける。あの臆病で華奢な身体に不釣り合いどころじゃない不気味で冷酷冷徹、何も見ていないようですべてを見通したような黄金色の目を。

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