裏面に刷り込まれた妄想

ここに一枚の写真があります。この写真の女の人、我々男性にとって伝説とも言えることを仕出かし、少なくとも当時の日本人男性の意識の底に微妙な影を落とした女性。世に言う「阿部定事件」の張本人です。姓は「阿部」名は「定」といい、刑を終え出所後はいろいろな仕事に就くも巷が放っておかず、好奇心からのヒッパリ凧で翻弄された運命。最後には行方、杳として知れず奇しくも逮捕時に書かれた戯れ言のように「お定はどこへ逃げたか?」「地上(痴情)の果てだ」じゃないけれど、生きているのか死んだのかを戸籍上に確定出来ぬまま、いまの平成の世にまで幻影を持ち越している女性です。猟奇殺人事件と言われ、国会議事堂では二つの委員会が開かれていたのですが、委員長の緊急動機で会を中断したそうで全員、号外を読み耽ったときの写真までがあります。この熱狂振りはいったいどういうことなのでしょう?筆者は長い間、この事件そのものよりも当時の世間のリアクションに興味があり、ハシャギ過ぎとも言える廻りの異常さの原因を探りたいと思っていました。その糸口は事件が起きた時代の前後にあるだろうとそこら辺を調べてみました。あった、ありましたね、原因が、、、時は、あの有名なクーデター未遂事件「二、二六事件」の三ヶ月ほど後で昭和十一年五月のことでした。日本の将来が暗い時代へと一気に走り込む一歩手前の時期で、世間はいいようのない閉塞感に包まれていたと言われています。そして翌十二年には盧溝橋事件というのが北京郊外で勃発し、とうとう日中戦争に突入していきました。そんなときに起こったこの猟奇事件が殺人事件でありながら息苦しさに少しばかり風穴をあけたようになり、世間は沸きに沸いたのではないか?ですから極端な話、それ以後の「日本の運命に影響を与えた女」という人まで居ます。マスコミ、世間が事件をスキャンダラスに報道する中、軍部関係がこの事件を隠れ蓑のように利用して次々に政治改革を立憲し、日本国を暗黒の大海原に乗り出させたひとつのキッカケではないのかと言うのがその理由です。市井が大きな時代のうねりに飲み込まれそうな不安感をつのらせている時分に、どこにでもある男女間の恋愛感情から一瞬にして転げるように奈落へ走り、俗事一切を断って情事のみに耽るという歌舞伎、浄瑠璃の世界そのもの。情痴、性と生死の世界の出現とマスコミも世間もそちらに目を向けていれば、かって知ったる「近松モノの世界」だったのですから話は簡単!かてて加えて愛人の下腹部、局所(本当は男性器の俗称を書きたかったが新聞の品位の為に初めて使った曖昧な表現)を切り取って文字通り肌身離さずの逃避行。これでは男たるもの、放っては置けません!逮捕時には彼氏の「モノ」をハトロン紙(これが切っ掛けで大衆に馴染み深い薄紙西洋紙になった。語源はパトロン「薬莢」から)に大事に包んで胸に納め、相手の下着も自分で着けていたそうです。この上述の写真は逮捕時に報道陣を前にしてのものですが彼女は笑っていますね。廻りの刑事、検事(?)連中も一斉に笑っているなんて逮捕時にはふさわしくないのでは?まあ、筆者の考えるに、誰か新聞記者なりが男女に関することでウマイことを言ったんじゃぁないでしょうか。それで思わずみなさん失笑をしてしまっている図。とにかく世間の「建前」がウルサイ今の世の中では考えられません。世の識者という連中からボコボコにされて検事、刑事共々退職願いを即座に提出しなくちゃなりませんね。しかも彼女は堂々と顔をさらしている。いい度胸です。そして調べれば調べるほど情状の余地がある彼女の過去と、ほんとうに話題に事欠かない女人でした。大島渚監督の「愛のコリーダ」等、いろいろな芝居、映像作品に取り上げられています。あの時代、運命に弄ばれ自分の意志の有る無しにかかわらず、幾多の男達が彼女の身体を通り過ぎていき、それゆえか、おのれの直感のままに、本能の命ずるままに”この男だ、この男しか居ない、この男を独り占めしたい”と思った瞬間から、生(性)の極限まで突っ走っり、その結晶ともいえる行為(性交中扼殺)をし遂げた人には世間のモラルなどはなんの障害にもならなかったのでしょう。またそれをただ黙って為すがままに許して、呪縛に掛かったように黙って死んでいった男も男。時代に翻弄されるマスコミ、大衆は、”痴情の果ての狂気”を追ううちに己自身知らぬ間に魂の浄化を代替えしてくれた女性、こつ然と現れた”滅亡のジャンヌダルク”に熱狂したのではないでしょうか?彼女の狂気の後、今度は日本全体が狂気となって、”大東亜戦争”と言う形で自分たち自身に襲いかかってくるなどとは露知らずに。(やっといいたかったことにたどり着いた気が、、、)

  逃げていく 胸にイチモツ 手に荷物
                                                                    読み人知ラズ

 

胸の間にハトロン紙に包んだ彼氏の性器と手に風呂敷包みを持ったかっこうで逃避をしていたところを逮捕されました。この川柳の面白いところは日本語の同音異語をキレイに利用しているところです。”胸に一物ある”状態とは、”わだかまりがあり納得出来ない気持ち”という意味ですね。彼女が成した行為は常人にはなかなか理解し難い精神状態だったわけですから、この表現でそれらしさを表していることにもなります。もう一つの意味はもちろん、胸にしまった彼氏のモノです。そして「一もつ」に対して「荷物」を「二もつ」と読み換える。しかもそれぞれ「胸」と「手」に付属している。そしてこれが大事なことだけれど、句を一気に詠むと何とも言えぬ高揚感と言うか躍動感に満ちていて、軽快なフットワークで逃げる彼女を応援したくなってきます。どうでしょうか?、、、ということで何かの拍子にネットで見つけた一枚の写真からの「阿部定事件」時事川柳講座、書いた本人もビックリの長展開になってしまいました。ではこの辺で。

 

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いまや世界に前衛舞踏としても認められた「BUTOH」様式の形成者で阿部サダを女神と崇める暗黒舞踏の創始者、土方巽(アがってカチカチになってる)と共に。

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