のどの渇き

若いときの貧乏って(いまでも貧乏だけど)今考えると懐かしいものだ。貧乏は若いときにしろと誰かが言っていたけれど、ある程度までのことなら確かに心の幅を拡げるような気がする。だれでも自分流の辛抱や倹約術を考えだすようになればシメタもの、貧乏を楽しみだしている証拠なんだと思う。

何十年も前のこと、ボクの若い友人の一人、スウェーデンの北の地方からストックホルムに大志を抱いてやってきた貧乏絵描き。彼の朝昼晩は全てライ麦のクネッケブレッド(クリスプブレッド)だった。 安くて長持ち、栄養価もあり調理する時間もいらないという、独身男にはうってつけの食べ物だ。 これをしょっちゅうかじっていた。あるときふと、彼の使っているマーガリンの箱の中を見たらネズミ色になっている。クネッケの粉が交じりに混じってまぁそれは汚い色になっている。 理由を質すと答えは妙。まずマーガリンを豪勢にペタッと適当に塗ってからナイフで伸ばす。 ここまではいい。それで大まかに余ったマーガリンを箱に戻す。真骨頂はそれからだ。そのあとからはナイフをこれでもかというほど硬パンの表面に、研ぐようにあててマーガリンをコソぎ落とす。このとき使うのはバターナイフではなく普通の食事用ナイフを使う。この方が刃 が薄くキビシく表面をアタックできるからだ。そこでそれだけ多くのマーガリンが戻ってくる。 それをまた箱の中に戻す。その作業の繰り返しで箱の中はクネッケ色。しかも塗る表面はでこぼこの少ない側を使う。でこぼこの大きい方を使えば凹みにマーガリンが溜まって戻って来る量が極端に少なくなるからだそう。

このはなしなどは貧乏を楽しむ部類に入ると思う。マーガリン無しで喰えば手っ取り早い倹約だけれどそれでは寂しい。貧乏はしても貧乏な想いをすることはない。それくらいなら食べない方がましだ、ちゃんと普通に食べてなおかつ倹約がただしいのだと言う意見。彼が愛おしそうにカリカリカリカリとナイフで硬パンの表面をこする音がいまでも耳に残っている。彼にとってこの一連の動作は一種のメディテーションだったな、と今にして思う。 似かよったボクの経験はといえば、やはり倹約の妙を自分では意識せずに編み出していた。それはまずスパゲッティソースを造る。そしてスパゲッティを茹でる。これを喰う。しかしこれではなんの倹約にもならない。ではどうやってビンボー生活の中でも時にはチャンとした食事ができたか?それはある時、なんらかの理由でソースを先に皿に空けなければならなかった。そして茹 で上がったスパゲッティをもうひとつの皿に入れて、その後にソースをかけると二枚の皿を使 わなければならない。それが面倒でそのままソースの皿の上に茹で上がったスパゲッティを乗 っけた。つまり上下逆のスパゲッティボロネーズ風とかいうものができあがった。 それを食べているうちに気がついたのはなかなか下のソースにフォークがいかない。いったとしてもスパゲッティ本体が重くてソースの中身を引っ張りだせない。しかたがないから少し下のトマト色のソースを絡ませて間に合わせた。両方をゴチャに混ぜればいいのだけれどそれも気に食わないので、そのまま食べ続けた。そうこうしているうちにスパゲッティ自体が減ってゆき、食べ終わってみればソ ースが手つかずとは言わないけれど、それでも底にいっぱい溜まっている。

ここで大事なことは普通のソースとパスタの組み合わせであるということ。別に何かを端折ったわけでもない、その気になればいつだってソースを絡ませて食べられるわけだ。このことが気持ちを随分と安らげてくれる。 これはシメシメ、このやり方で食べれば何回でも食べられるなぁ、と思 ってほくそ笑んだらソースの付いてないスパゲッティばかり食べたので やたら喉がパサパサしたことを覚えている。

月日が流れ、いまではパスタを食べていて、ソースの量が少なくなって きたなと思うや否やキッチンへ飛んで行って足してくる。 あぁ、堕落したなぁ!

 

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